ノンケの社員への恋「君みたいな子がいてくれたから俺も頑張れたんだよ」

高校ではバイトを禁じる校則が法律並みに適用されていたため、僕は大学生になって初めてバイトを経験した。

この話は大学生の僕がノンケの社員さんを好きになってしまった、香ばしくもほろ苦い実体験の記録である。

あれは、大学1年目の夏。実家を離れて一人暮らしを始めて半年も経っていない頃だった。なかなかバイトを見つけられなかった僕を採用してくれたのが、駅前にあるチェーン店のカフェだった。

期待と不安が入り混じった出勤初日、僕は普通に遅刻をした。言い訳するのであれば、上京したばかりだったため電車の乗り継ぎにまんまと失敗したのだ。田舎からやってきた素朴な学生と思って許してやってほしい。と今なら思えるのだが、当時の僕は大馬鹿者の四文字を頭に浮かべながらカフェに謝罪のメールをし、顔面蒼白で電車に揺られていた。

カフェでは僕よりいくつか年上の1人の青年が立っていた。この人が僕の教育係兼カフェの店長である大森さんだ。(僕の面接は違う人が行ったため大森さんとはこの時が初対面)

「す、すみません!初日なのに遅れてしまい…」

「電車、大丈夫でしたか?心配しましたよ〜」

彼の第一声は遅刻を注意するものではなかった。ニコニコした恵比寿顔の大森さんが本当に恵比寿に見えたのをよく覚えている。

ホッと胸を撫で下ろしたのと同時に、彼以外の従業員は皆主婦ということを知っていた僕はこのバイトで恋に落ちることはないことを確信した。恵比寿とのラブストーリーはないだろう、と。

実に失礼極まりない過去の自分自身に、まずは張り手を喰らわせたい。カフェのバイトでステキな出会いが待っているかも…と心を躍らせる前に路線図でも見て乗り継ぎの仕方を頭に叩き込んだらどうだ。

大森さんは本当にたくさんのことを教えてくれた。コーヒーの種類から淹れ方はもちろん、接客の心構えや常連さんの特徴など挙げればキリがない。

僕がエスプレッソの抽出に失敗しまくった時は、

 「君結構不器用なんだね(笑)。 でも、失敗を多くした人の方が人に教えるのが上手くなるんだよ」

なんて言葉をかけてくれるのでドジな僕でも嫌にならずに一生懸命頑張ることができたのだと思う。

怖い客にぶち当たった時も、彼は僕の前に立ってスマートに助けてくれたのをよく覚えている。“恵比寿さま”と心で拝んだりもした日もあるくらい、僕は彼に対して感謝の気持ちで胸がいっぱいだった。

しかし転機が訪れるのはドリップにも慣れ始めた頃、大森さんがバイト終わりに

「一緒に飯に行きましょうよ、ご馳走します」と声をかけてくれた夜だ。二つ返事で彼のよく行く洋食屋に連れていってもらった僕は、ナポリタンをすすっていた。他愛ない会話が続く中、大森さんが急にティッシュを持った手を僕に近づける。

 「すごいところについてますよ(笑)」

 「あ、ナポリタン食べる時っていつも口の周り汚れちゃうんですよね…あっすみません…あっ…」

相当酷く汚れていたのだろう。一瞬ドキリとしたのは、みっともないと思う羞恥心からだろうか。しかし、すぐにはっきりした。僕が彼に対して心を一杯にしていたのは、感謝の気持ちではなく好きという気持ちだったことに。

僕は口元を拭いてくれた大森さんを直視できずに残りのナポリタンを頬張った。

そこからのバイトライフはより一層輝きを放っていく。大森さんとシフトがかぶるのがこんなにも嬉しいなんて。バイトがこんなにも楽しいなんて。もう恵比寿顔なんて思わないし、誰にも言わせない!(恵比寿云々は僕しか思っていない)

そうなると彼の日々の些細な言動も少女漫画ばりの背景を伴って僕の目に映るようになった。

 「大森さん、このコーヒー豆どうしたんですか?ウチのじゃないですよね」

 「これは君と一緒に飲もうと思って持ってきたんだ。浅煎りのコーヒー好きだったでしょ?」

「好きです!(あなたが!)」

また別の日なんかは

 「はい、これあげる。うちで出してるインスタントコーヒーね」

 「え、いいんですか!ありがとうございます」

「風味を覚えておいてほしいからねー。あと、こんなこと君にしかしていないから周りの人には秘密ね(笑)」

 「あっ…はい…」

お分かりいただけただろうか?彼はこのような台詞を何の気なしに言ってのける。それは、彼がノンケだから。僕のことを可愛い後輩、もしくは弟のようなものとでしか認識していないからこのような胸を締め付けるような言動をとれるのだ。

そんな彼が正真正銘のノンケであることを、これでもかと見せつけられたのはバイトの皆で飲み会を開催した時のことだ。僕も大森さんも酔っていた。普段の職場では話さない下世話な話がチューハイの泡のように弾け飛ぶ。

 「そういえば彼女はいるの?」

大森さんが顔を真っ赤にしながら尋ねる。

 「いないですよ〜。恋愛はあまり興味ないんで…(嘘)」

 「まあウチの職場だと出会い無いよなあ、なんか可哀想だな。じゃあどんな子がタイプなの?」

 「優しい人がいいかな(おめえだよ!!!)」

 「つまんないなあ〜(笑)」

といった具合である。

ゲイである僕はこの手の質問を今まで幾度となくくぐり抜けてきた。

自分のことをあまり話さないと言われ、ついたあだ名はミステリーボーイ。こんな会話、もう慣れっこだと思っていたのに大森さんの無邪気な笑顔が心に刺さる。僕は彼に彼女がいるかどうかはもちろん、好きな異性のタイプさえ聞き返すことができなかった。かといって違う話を振ることもできず、ただニコニコしながらジョッキを傾けキウイサワーを飲み干した。

この“飲み会キウイサワー事変”をきっかけに僕の心にはストッパーが取り付けられた。考えれば、もっと早く取り付けるべきだったのかもしれない。それは、孫悟空の頭につける輪っかのように、はたまたキョンシーのおでこに付いたお札のようにして、これ以上彼に熱中するのを防いでくれた。

しかし人間の感情はそううまいことできていない。大森さんとシフトが被り、カフェラテを一緒に作ったりするだけで僕の指先は震える。というか無理に好意を忘れようとするほど、想いがコーヒー豆のように焦がれて香ばしくなっていくような気がしていた。

そして、僕が採用されて数ヶ月が経った冬頃のことだった。いつものようにカフェでバイトをしていると大森さんから奥の部屋に呼び出された。何かやらかしたのかと不安に思う僕に彼は神妙な面持ちで口を開いた。

 「実は、来月から関西に移動することになったんです。会社のルールでギリギリまで喋っちゃいけないことになってて…」

 「え?」

 「他のみんなにはこれから伝えるんだけど、まずは君に言っておきたくて」

 「あ、いや、なるほど。関西ですか…」

 「急にごめんね、驚いたでしょ。俺も初めて聞いた時は驚いたよ(笑)」

 「い、今まで本当にありがとうございました」

 「もうちょっと一緒にいたかったけどね…」

僕は関西に行ったことがない。リアルにその遠さを体感したことがなかったからか。それとも大森さんがすぐにいつもと同じ恵比寿顔に戻ったからだろうか。僕はそこまでショックを受けた訳ではなかった。心のどこかで、これ以上彼のことを好きにならずに済むと安堵した。

その後、大森さんは引っ越しの準備や引き継ぎ業務などで忙しくなりカフェにあまり出勤しないようになっていった。これじゃあお別れ会もできないね、と他のバイトの人たちと話して色紙と簡単なプレゼントを用意することになった。

余談だが、色紙に本当のことを書く人はこの世に存在するのだろうか?あれほど周囲の人に見られる媒体に核心的なことを書いたり本音を書いたりする人を僕は見たことがない。

色紙は自宅で書くことにした。余談の通り、僕は「本当は大森さんのこと、かなり好きでした。関西に行かないでください」なんてことは書かない。書けるわけがない。決められたテンプレートのように皆と大差ないフレーズを書いて、ふと泣きたくなった。つまらない建前に埋没してしまう自分の想いが可愛そうに思えたからだ。

そうだ、お世話になったお礼に電話で挨拶をしよう。最後にちゃんと2人で話がしたい。心のストッパーよ、今は邪魔しないでくれ。僕は大森さんに電話をかけた。普通だったら絶対にそんなことはしない。「どうせ最後だから」と繰り返し心の中で呟いて彼が出るのを待った。

 「もしもし、どうしたの?何かあった?」

やっぱり急に電話かけたら動揺するよなあ…とスマホを持つ手に力が入る。僕は今までの記憶を振り返り、彼にコーヒーを教えてもらえて本当によかったことや楽しくバイトを続けられたのは彼がいたからだと伝えた。

だから次の職場でも頑張ってほしいと。

話せば話すほど僕は彼が好きなのだと思い知らされる。もう今更だけれど。

 「そんな風に感じてくれてたなんて、すごく嬉しいよ。ありがとう」

 「大森さん優しいですから。きっとみんなもそう思ってますよ絶対」

 「いや、君みたいな子がいてくれたから俺も頑張れたんだよ。君のそういう素直で人懐っこいところを、これからも大切にしてほしい。俺がいなくても頑張ってね」

ここまで聞いて心のストッパーは決壊した。なんてことをしてくれるんだ大森さん、あなたが僕を励ますなんて想定してなかったよ。

ずっと抑えてきた想いがとめどなく流れて涙になる。やっぱり彼が好き。どうしよう。

泣いているのがバレないようにすぐさま口呼吸に切り替えて、ティッシュで鼻や目を押さえた。

もう最後だし、好きって言ってしまおうか。そんな思いが頭をかすめた。しかし、相手はノンケ。迷惑にはならなくとも関西行きの前なのに、かなりの動揺を与えてしまう。そもそもそんな告白は自己満足でしかないのでは…。

スーパーコンピューターの如く一瞬にして思考を巡らせた僕は、勇気を出してこう言った。

 「大森さん、大好きでしたよ!また今度店舗に遊びに来てくださいね!」

 「了解しました!絶対行くよ」

そして、大森さんとの最後の日がやってきた。

開店前の早朝に大森さんがカフェに寄り、多くのスタッフが見守る中で僕がプレゼントと色紙を手渡した。笑顔になると余計に恵比寿に見えるなあと思いながら。

その後すぐに彼は関西に出発し、向こうでエリアマネージャーなどを務めるようになったらしい。

大森さんの痕跡がすっかり消えたこのカフェで、僕は彼直伝のコーヒーを淹れている。

実においしいコーヒーだ。

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この記事を書いた人

とにかく多趣味な美大生。自他ともに認めるロマンチストで、漫画・映像などの制作を日々精力的に続ける。

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